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神戸地方裁判所 昭和47年(行ウ)19号 判決

尼崎市尾浜町一丁目三〇番四〇号

原告

株式会社大正金属工業所

右代表者代表取締役

松川光夫

右訴訟代理人弁護士

松井城

北河安夫

右訴訟復代理人弁護士

大谷美都夫

尼崎市西難波町一丁目八の一

被告

尼崎税務署長

森崎勝雄

右指定代理人大蔵事務官

井上修

清原健二

岸田富治郎

法務大臣指定代理人訟務部付検事

細井淳久

訟務専門職 風見幸信

同 中川平洋

主文

1  被告が原告に対して昭和四五年六月二六日付でなした原告の同四一年一二月一日から同四二年一一月三〇日までの事業年度分法人税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(但し、いずれも被告の同四五年一〇月九日付異議決定により一部取消された後のもの。)のうち、所得金額一、三二五万六、九五五円を超える額に対する部分を取消す。

2  被告が原告に対して同四五年六月二五日付でなした源泉徴収にかかる同四二年分の給与所得の所得税についての納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分を取消す。

3  原告のその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1. 被告が原告に対して昭和四五年六月二六日付でなした原告の同四一年一二月一日から同四二年一一月三〇日までの事業年度分法人税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(但し、いずれも被告の同四五年一〇月九日付異議決定により一部取消された後のもの)を取消す。

2. 主文2項と同旨

3. 訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

1. 原告の請求をいずれも棄却する。

2. 訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、原告の請求原因

1. 原告は船舶用冷凍装置の製造販売を主たる業務とする会社である。

2. 原告は昭和四一年一二月一日から同四二年一一月三〇日までの事業年度(以下本件事業年度という。)の法人税について、別表(一)の「確定申告額」欄記載のとおり欠損の確定申告をし、次いで同表の「修正確定申告額」欄記載のとおり所得金額を三〇三万六、九五五円として修正確定申告したところ、被告は同四五年六月二六日付で所得金額を五、五二三万五、七四〇円、法人税額を一、八二一万七、五〇〇円とする更正処分及び過少申告加算税九一万八〇〇円の賦課決定処分並びに源泉徴収にかかる同四二年分の給与所得の所得税七二五万五、〇〇〇円の納税告知処分及び不納付加算税七二万五、五〇〇円の賦課決定処分(以下、一括して本件各処分もという。)をした。

3. ところで本件各処分は、原告会社が松川光夫及び的崎修(以下、松川らともいう。)の両名に対し、同四二年一〇月二五日に使用人分退職給与として支給した四、三〇〇万円(松川につき二、三〇〇万円、的崎につき二、〇〇〇万円、以下、これらを本件退職金という。)のうち原告会社において損金経理をした四、一三三万三、七八五円及び本件事業年度内に使用人賞与として支給した一、四六〇万円(松川、的崎につき各七三〇万円、以下これらを本件賞与という)のうち原告会社において損金経理をした一、〇二二万円を被告がいずれも役員賞与と認定してその損金算入を否認し、さらに使途不明交際費六四万五、〇〇〇円の損金算入を否認したうえこれらを原告の申告所得額に加算したことによるものである。

4. しかし、右松川及び的崎は右当時原告会社の使用人であつて役員ではなかつたから、右退職金及び賞与を役員賞与と認定したうえでなした被告の本件各処分はいずれも違法である。

5. そこで原告は、右各処分を不服として、同四五年八月二二日被告に対し、異議申立をしたところ、被告は、使途不明交際費の否認についての原告の不服申立は理由があるが、その余の不服申立は理由がないとして同四五年一〇月九日同表(一)の「異議決定額」欄記載のとおりの一部取消の異議決定をした。そして原告はさらに大阪国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、国税不服審判所長は審査請求を棄却する旨の裁決をなし、原告は同四七年四月一七日に右裁決書謄本の送達を受けた。

6. よつて原告は、本件各処分(但し、被告の異議決定により一部取消された後のもの)の取消しを求める。

二、被告の答弁及び主張

1. 請求原因1ないし3及び5の各事実は認める。同4の事実は争う。

2. 本件各処分の適法性

(一)  本件退職金を役員賞与と認定すべきことについて

(1) 本件退職金は退職給与ではない。

けだし、退職給与は、支給を受ける側から言えば、退職所得であり、所得税法(昭和四三年法律第二一号による改正前のもの、以下同じ。)第三〇条第一項によれば、退職を基因として一時に受けるものであるところ、松川らは、後述のとおり、原告会社設立以来引続き勤務しており、原告会社を退職した事実はなく、従つて、右要件を欠くからである。

(2) 松川らは原告会社の役員である。

(イ) 松川らは、原告会社が同族会社であることについての判定の基礎となつた株主である。即ち、松川らは、原告会社が昭和二七年六月二六日に設立されて以来引続きその株主であつたが、本件退職金が支給された同四二年一〇月二五日における所有株数は、原告会社の発行済株式総数四万株のうち、松川が一、九五〇株、的崎が一、三五〇株であり、その株数は三輪嘉晟とその同族関係者の三輪みどり、三輪和子及び西郷亭の所有する三万六、七〇〇株を除くすべてであるから、松川らは、いずれも法人税法(同四五年法律第八号による改正前のもの、以下同じ)第二条第一〇号イに規定する同族会社の判定の基礎となつた株主に該当するといわなければならない。

なお、旧法人税基本通達(昭和三四年直法一-五〇国税庁長官通達)が、「発行済株式総数の五パーセント以下の株主は、これを同族会社の判定の基礎となる株主より除外することができる。」と規定した趣旨は、かかる僅少の株主が一般に会社における職務権限の小さいことを考慮したものに過ぎず、松川らのように、会社における職務権限の著しく大きい株主は、たとえその持株割合が五パーセント以下であつても、同族判定株主より除外することは不当であるから、右通達は前述の解釈を左右するものではない。

従つて、松川らは、法人税法第三五条第五項かつこ書、同法施行令(同四五年政令第一〇六号による改正前のもの)第七一条第四号により、同法第三五条第二項の「使用人兼務役員」にも該当しない。

(ロ) 松川らは、昭和四二年一〇月二五日当時、原告会社の経営に従事していた。

(A) 原告会社が同二七年六月二六日に設立された際、松川と三輪嘉晟が代表取締役に、的崎が取締役に各々就任し、松川らは同二八年六月二六日取締役を退任したが、原告会社の代表取締役である三輪嘉晟が、日本板硝子株式会社に勤務している関係上、原告会社に常勤することはできないこと及び他に常勤で経営に従事する者がいないという理由から、松川らは原告会社の経営に関する諸業務を従前のとおり執行していた。即ち、松川らは、松川において主として事務方面を、的崎において、主として技術方面を各担当して、代表取締役の印を預り、銀行取引、製品受注、資材購入等について対外的な交渉や契約の締結をなし、製作、納品、施工、集金等の最高責任を負い、従業員の採用、配置、給与額等を決定していた。従つて、松川らは右退任によつて役員としての退職金を支給されることもなく、役員としての給与から単なる使用人としての給与に減額されることもなかつた。

(B) 同四二年八月一〇日西郷亭が常勤の代表取締役に就任したが、その後においても、また、松川らが再び取締役に就任した同年一〇月二六日以後においても、松川らの前記の如き職務内容には実質的な変化は全くなかつた。

(C) のみならず松川らの給与の額は同四一年以来両名同額であり、二度目の取締役就任の以前においても他の従業員の最高給与額に比すれば約三倍の高額で、代表取締役西郷のそれよりも多く、同三輪嘉晟のそれに比肩するものであつた。二度目の取締役就任以後においても、それに伴うものともいうべき給与の増額はながつた。

(D) このように、松川らは、原告会社設立時に取締役に就任して以来、同二八年六月二六日に退任して同四二年一〇月二六日に再び取締役に就任するまでの間、終始一貫して、原告会社の企業維持活動に重要な役割を果たして来たのであるから(二度目の取締役就任は単に形式を整えるためのもの、換言すれば、従前から経営に関する業務の権能を実質的に有していた松川らに、それを行使し得る地位を形式的にも付与し名実を一致させたものに過ぎない。)松川らは、実質的に経営に従事していたと認めるべきである。従つて松川らが同四二年一〇月二六日に再び取締役に就任してもその職務内容には何ら実質的な変化がなかつたのであるから、従前の地位を「退職」したものでないことも当然である。

(ハ) 右(イ)(ロ)の事実から、松川らは法人税法施行令第七条第二号に定める役員の要件を充足し、法人税法第二条第一五号にいう役員に該当するといわなければならない。

(3) 本件退職金は法人税法第三五条第四項の役員賞与に該当する、役員に対し臨時的に支給された給与である。即ち、松川と的崎との間では昭和三六年の好況期以来営業面、技術面において意見の相違を生じていたのであるが、特に昭和四〇年頃から両者間の確執が深まり、三輪嘉晟の岳父西郷亭が同四二年五月顧問として就任し、次いで同年八月代表取締役になつてからは、松川らとすれば永年の功績が正当に評価されていないことへの不満、西郷とすれば松川らに経理上の不正や労務管理面の不備があるのではないかとの疑心が生まれ、やがて三者間で内部抗争の様相を呈し、そのことが一因となつてその頃松川、的崎が相次いで辞意を表明するに至つた。そこで西郷と三輪が相談した結果、松川らが退職すれば原告会社の運営は全く麻痺し倒産もしかねないし、永年の功績に報いる必要もあることから、この際は、松川に二、三〇〇万円、的崎に二、〇〇〇万円を退職金名義で支給し、右両名を前述のように取締役に就任させることをきめ、右各金員の支給がなされたものである。従つて、松川らに対する本件退職金は、法人税法第三五条第四項にいう臨時的な給与すなわち賞与に外ならない。このことは、例えば、その規模五〇〇人未満の会社において、大学卒業で勤続二五年の退職者が受ける退職金が高率でも平均二一二万七、〇〇〇円であることに比して本件退職金がそれぞれその約一〇倍という異常な高額であることからも明らかである。

(二)  本件賞与を役員賞与と認定すべきことについて

前述のとおり、松川らは、本件事業年度において原告会社の諸業務に従事するものであり、法人税法第二条第一五号、同法施行令第七条第二号が定める役員に該当するから、原告会社が松川らに支給した本件賞与は同法第三五条第一項の規定に従い、原告会社の所得金額の計算上損金に算入することはできない。

なお、本件賞与の数額自体からも、即ち原告会社が松川らに各々支給した七三〇万円という賞与額が原告会社の他の従業員に対する支給率、支給額と比して著しく高いことからも松川らが単なる従業員でないことを窺い知ることができよう。

(三)  源泉徴収にかかる同四二年分の給与所得の所得税についての原告会社の徴収納税義務について

本件退職金が前述のとおり役員賞与と認定される結果、それに伴い源泉徴収義務者たる原告会社は、所得税法の規定により、あらたに七二五万五、〇〇〇円の所得税を松川らより徴収して納付すべき義務あることは明らかである。

3. 原告の反論(後記三の5の(二)の(3))に対する再反論

被告が原告会社の本件事業年度の前事業年度分まで使用人退職給与引当金の損金算入経理を否認しなかつたのは、被告が原告会社の実体を知り得ながつたからに過ぎず、この点は本件各処分自体の適否とは全く関係がない。また松川に対する本件退職金につき西宮税務署長が使用人退職金と認めていた点も、右と同様に本件各処分自体の適否とは無関係である。

三、被告の主張に対する原告の認否並びに反論

1. 被告の主張2の(一)の(1)の事実は争う。

同(2)の(イ)の事実中、松川らが原告会社設立以来の株主であること、本件退職金支給当時における原告会社の発行済株式総数、各株主の所有株数が被告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

同(2)の(ロ)、(ハ)の各事実中、原告会社の前身が亡三輪主一の経営する個人企業であつて松川らが被告主張のような業務に従事してきたこと、原告会社が被告主張の日にその主張のような営業を目的として設立されたこと、原告会社の各役員の就退任の日が被告主張のとおりであること、代表取締役の三輪嘉晟が日本板硝子株式会社に技術者として勤務していることは認めるが、その余は争う。

2. 被告の主張2の(二)の事実は争う。本件賞与はすべて使用人賞与であつて、損金経理の是認されるものである。

3. 被告の主張2の(三)の事実は争う。

4. 松川らと同族判定株主との関係について

原告会社の設立当時以降の資本構成は別表(二)のとおりであり、本件退職金の支給がなされた昭和四二年一〇月二五日当時の原告会社の株式については、被告主張のように、発行済株式総数四万株のうち、松川が一、九五〇株(四・八七パーセント)、的崎が一、三五〇株(三・三七パーセント)所有し、その余、即ち約九一パーセントは三輪一族が所有していたのであつて、資本構成の点からみて原告会社は完全に三輪一族の同族会社であると断言できるのである。のみならず、僅か四・八七パーセントないし三・三七パーセントの小株主に過ぎない松川らは被告主張のような同族判定株主に含ましめるべきでないことには十分な根拠がある。けだし、被告も引用する旧法人税法基本通達が明定するとおり、その持株割合(同族関係者の持株割合を含む。)が五パーセント以下の株主については、法人税法施行令第七一条第四号に関してはこれを同族会社の判定の基礎となつた株主等から除外する、即ち役員から除外することができるのである。これは持株割合が五パーセント以下の少数株主は会社に対する支配権ないし影響力が少ないことを考慮したものと考えられるから、松川らの場合、使用人的色彩が極めて濃厚であり、従つて少なくとも使用人兼務は認められるべきである。そして同四五年政令第一〇六号により改正された法人税法施行令第七一条により、右の通達の趣旨は更に強化されて法令化されている。本件は右改正前の事案であるが、法改正の現実と前記基本通達の趣旨よりして、僅か四・八七パーセントないし三・三七パーセントの小株主である松川らは、同族判定株主から除外されるべきであり、従つて「役員」とみなされるべきではない。また、松川らには、法人税法施行令第四条に該当するような関係はないので、明らかに三輪一族の同族関係者ではない。

5. 松川らの原告会社における地位について

(一)  原告会社設立時に役員であつた事情

松川及び的崎は、昭和二七年六月二六日より同二八年六月二六日までの間、それぞれ原告会社の代表取締役、取締役であり、その旨の登記がなされていたが、これは当時、会社設立が急がれ、発記人や役員に人を欠いたため応急の暫定策として就任したに過ぎない。このことは、別表(三)にみるとおり、松川らの当時の給料が他の従業員と比較して低額であり、従つて生活給と認むべきものであつて、役員報酬を含めたものでは到底なかつたことに照らしても明らかである。そうして松川らは、その任期満了に伴う改選の株主総会で再選されることなく退任し、その旨の登記もなされた。

(二)  再度の役員就任に至るまでの地位および職務内容松川らはこの間一貫して使用人として勤務していたもので、原告松川らはこの問一貫して使用人として勤務していたもので、原告会社の経営には従事していなかつた。即ち、

(1) 松川らは、その後、同四二年一〇月二六日まで、株主総会で役員に選任された事実はなく、固より役員就任の登記もない。

(2) 松川らの使用人としての勤務内容を詳述すると以下のとおりである。

原告会社は、もと大正金属工業所と称する三輪主一の個人経営であつて、船舶冷凍機器の製造、販売を主たる営業目的としており、営業の規模、例えば現在に至るまでの従業員数は、別表(四)の該当欄にみるとおりであり、工員を除く事務所職員は松川らを含め僅か数名に過ぎない。そして、松川は昭和一八年に、的崎は同二二年に各々入社し、松川は主として事務方面、的崎は技術方面の業務に従事してきた。ところで三輪主一が同二五年に死亡した後、その長男三輪嘉晟が未だ学生であつて他に経営する者がいないまま同人名義で松川及び的崎が実質的に運営してきたところ、同二七年六月に法人組織になるに際しては、一時に経営を任せられて松川が代表取締役に、的崎が取締役に就任した。しかし、原告会社は実質的には三輪一族の所有であり、使用人に過ぎない松川らが、いつまでも役員の地位に居ることは無用の誤解を招くことになると考え、松川らは同二八年六月に役員を退任し、三輪嘉晟に代表取締役に就任してもらつて使用人の立場に戻つた。

ところが、右嘉晟は大学卒業後、技術者として日本板硝子株式会社に勤務したため、代表取締役として非常勤の格好になり、松川らが、いわゆる留守を預る形で、同四二年八月に西郷亭(嘉晟の妻の父)が代表取締役に就任するまで原告会社を運営してきたものである。その間松川らは代表取締役の印を預り、日常的な業務運営は専ら松川らの決するところにより、その他、使用人の採用、給与額・賞与額の実質的な決定などに関与していた。しかし、これらとても三輪嘉晟社長がすべて任せ切りにしていたのではなく、自ら年に七、八回は原告会社にも顔を出し、それ以外にも松川らと度々面接しては会社運営上の決定をし、又、松川らの報告を聞いて指示を与え、松川らの給与・賞与の額の実質的な決定にも与つていた。これは、原告会社が実質的には三輪主一の個人経営の延長であるが、三輪一族の中に偶々経営を引き継ぐ者がいなかつたため、前述の如く不自然な形を採つていたことによるものであり、松川らは実質的に経営に従事していたのではなく、使用人として三輪社長の名の下で各々の職責を果たしていただけである。特に的崎は、松川が商業学校出身であるのと異なり、旧海軍兵学校出身の技術者であるから、経営そのものについても実質的にも殆んど関与していない。松川らは、右のような不自然な形をなるべく早く解消すべく努力し、同四二年八月に西郷亭に常動の代表取締役として就任してもらうことによつて原告会社を正常な形に戻すとともに、その後西郷から役員就任を要請され、同年一〇月二六日に取締役に就任した。

なお、松川の従前の勤務は使用人として会社の業務に常勤していたものであるが、西郷社長の下で取締役となつてからも、営業、経理その他の雑用の常勤責任者で、いわゆる使用人兼務役員である。その勤務内容は従前とあまり変るところはないが、折々の取締役会に出席し、株主総会の指導的役員として努力し、会社の社交的会議等にも役員として出席するため、その責任は更に加重されている。

的崎もまた、取締役に選任されたが、工場、技術の常勤責任者であつて、使用人兼務役員である。その勤務も従前とあまり変らないが、取締役会への出席、株主総会への出席等で、その責任は相当加重されている。

以上のように、松川らは、原告会社の所有者である三輪一族の下で、その名において、又はその命により使用人として会社を運営して来たものであつて、法人税法施行令第七条第二号にいう実質的に経営に従事していたものではない。

(3) さらに、同四一年一一月末日決算までは、被告自身も、原告会社が被告に提出していた「退職給与引当金、毎事業年度引当金に関する各人別明細書」を是認して松川らについて使用人退職給与引当金の繰入を認め、その使用人としての立場を認めていたものであり、また松川については、松川の所管署である西宮税務署は、原告会社が松川に支給した退職金等を使用人に対する退職金等として取扱い、更正していない。このことからみても被告の主張は失当というべきであるが、さらに被告は、原告会社の同三三年度、同三四年度の法人所得申告に対し、松川らに支給した賞与中、三三年度分については金二二五万一〇〇円を、三四年度分については金二五〇万二、五〇〇円を過大賞与と認定してその損金算入を否認する旨の更正決定をなしたところ、原告会社からの異議申立に基づき、両年度分とも調査のうえ、右更正処分を取消している。従つて、被告自身も松川らがみなし役員に該当せず使用人であることをかつては認めていたのである。

(4) 実質的にみても、二、三〇〇万円(松川の分)及び二、〇〇〇万円(的崎の分)の退職金を役員賞与と認定されたことにより、原告会社は約二、〇〇〇万円(加算税を含まない。)の税金を追徴され、的崎には約九五〇万円の所得税が課せられ、また松川にも計算上約一、一〇〇万円の所得税が課せられることになり、計四、三〇〇万円の退職金に対し、合計四、〇〇〇万円以上の税金が追徴されることになるのは税制上の理由は別として不当な取扱いという外ない。

6. 本件退職金の内容、性格について

(一)  支給の経緯

昭和四二年八月中頃松川らが辞意を表明するに至つた経緯は、被告主張のとおりであるが、西郷社長と三輪会長との相談の結果、会社が今日のように発展したのは専ら両名の永年の勤務と努力によるものであるから、この際は両名の使用人退職を認め、役員として昇格させることが会社の利益に合致すると一決し、両名に対し、

(a) 両名の使用人退職を認める。

(b) 退職金は、両名の多大の功績を認め、特に退職金規定を改定して、松川には二、三〇〇万円、的崎には二、〇〇〇万円を支給する。

(c) 両名は臨時株主総会において取締役に選任することとし、常勤役員として会社のため尽力すること。

以上の条件を呈示し、松川らはともにこれを諒承したのである。被告は、松川らが原告会社を退職した事実はないと主張しているが、なるほど松川光夫及び的崎修が全く原告会社から離れてしまうという意味での退職という事実はなかつたけれども、使用人が役員に就任したことに伴う使用人たる地位からの離脱という事実は否定できないのであつて、この場合、使用人としての勤務期間の打切の退職金を支給することは何ら背理ではないし、松川らが使用人退職に引続いて役員として勤務したことは、会社業務の継続性に間隙を作らないためであつて、むしろ巷間このような処理がとられているのが常道である。

(二)  退職給与規則との関係

ところで、原告会社の従業員退職給与規則によれば、勤務年数を三年、五年、一〇年、一五年、一五年以上の五期に分けて、それぞれの各期の総給与に所定の率を乗じ、これの合計額を退職金として支給することになつており、右規則に従つて退職給与を算定すると、松川が約二九〇万円、的崎が約二六〇万円となる。しかしながら、インフレとベースアツプの激しい現在の社会においては右規則は甚しく時代遅れであり、右規則が改正されなかつたのは、原告会社が小企業であるうえ、役員も非常勤であり、執務者が業務繁忙のあまり右規則の改正を等閑に付していたために外ならない。退職給与規則に基づく退職給与は使用人が退職する際に保障される最低限の権利であるから、原告会社がそれを上廻る額を決定、支給することは何ら違法ではない。松川らの場合は、大正金属が個人経営から法人組織へ移行した際に退職金を受け取つていないし、同人らの功労も考えて、特に取締役会の決議により、退職給与規則を改定して前述のとおりの退職金を支給することにしたのであり、以下述べるごとく松川らの約二〇年にわたる功労からすれば決して不当に高額なものではない。即ち、会社の営業状況の実績を端的に示す各営業年度の純益金(但し、同三九年度以降は法人税等充当金を控除したもの)の数額、配当率及び法定任意積立金累計額は別表(六)の各該当欄記載のとおりである。原告会社が、その取締役が非常勤であるにもかかわらずこのように発展してきた理由は、全従業員の努力の結果であるのは勿論だが、特に松川らがそれぞれ受注等の外交面や内部の総務統轄関係及び高精度な製品の製作に献身的に努力してきたからである。特に同三八年六月に松川の外部接渉により、川崎重工業株式会社からパナナ輸入船二隻の冷凍装置の注文を受け、生産責任者の的崎が、工員とともに新製品の製作に取組み、期待どおりの装置を完成させて納入した実績があり、この製品の完全性のため信用を博し、ついで濠洲羊肉の輸入船九隻の冷凍装置の注文を受け、さらに同四二年始めには、パナナ輸入船の冷凍装置の注文があつて、それぞれ納入した。この受注と製作については松川らに多大の功績があり、このため原告会社の業績も飛躍的に向上し、別表(六)の同四〇ないし四二営業年度の各「損益金」欄にみるように多額の純益を挙げるに至つた。この故に使用人に過ぎない松川らは原告会社の大功労者と認められるようになつたのである。

(三)  使用人退職金の全面否認の不当性

仮りに、松川らがみなし役員に該当するとしても、本件退職金の大部分は使用人退職金と認定されるべきである。即ち、松川らは二〇余年にわたり、使用人として原告会社の前身時代から引続いて勤務し、当初の一カ年間を除き、株主総会で役員に選任されたことはなく、役員としての登記されたことも勿論ない。また、対外的な取引上においても役員と自称したことはなく、専ら使用人としての意思で勤務を継続してきたのである。それ故に昭和四二年一〇月二五日に使用人を退職した際相当額の退職金の受給を期待したことは当然であるし、支給された退職金に対する国税等も納入した。そしてその翌日からは、原告会社の役員としての重責を負つて勤務に精進している。右のように内外ともに使用人であると自覚し勤務してきて、退職金への期待をもつて使用人たる地位から退職した松川らであるのでみなし役員と認定する以上、その退職という事実に法的効果を付与し、本件退職金のうちの大部分は使用人退職金であると査定するのが税法の正当な解釈である。

また、被告の本件各処分は松川らから既得の退職金を奪うに等しい結果となる。なぜならば、将来、松川らが退職する際、原告会社は、松川らには使用人であつた同四二年一〇月二五日までの退職金は支給済みであるので、それ以後の分のみを支給すれば足りるとして、その前提の下に株主総会で決議されること必至である。資本団体である株式会社の性格として、その大株主は、松川らに退職金として合計四、三〇〇万円を支出し、その上それの否認により、原告会社は一、九一二万七、八〇〇円(加算税とも)の課税損失を蒙つたことになる。従つて、松川らの将来の退職時に、右使用人退職金を考慮しないで退職金額が決定されることは明らかである。この点からしても、少なくとも、右退職金の大部分は、損金算入が是認されるべきである。

第三、証拠

一、原告

1. 甲第一号証、第二号証の一及び二の各A、B、第二号証の三ないし一〇の各AないしC、第三号証の一ないし三、第三号証の四のA、B、第三号証の五、第三号証の六のA、B、第三号証の七、第三号証の八のA、B、第三号証の九、一〇、第四号証の一のA、B、第四号証の二及び三の各AないしC、第四号証の四及び五の各AないしD、第四号証の六及び七の各AないしC、第四号証の八のA、B、第四号証の九のAないしC、第四号証の一〇及び一一の各A、B、第四号証の一二及び一三、第四号証の一四のAないしC、第五及び第六号証、第七号証の一のAないしC、第七号証の二のA、B、第七号証の三のAないしC、第七号証の四、第七号証の五のAないしC、第七号証の六及び七の各A、B第七号証の八のAないしC、第七号証の九のA、B、第七号証の一〇のAないしC、第七号証の一一、第七号証の一二のAないしC、第七号証の一三ないし一五の各A、B、第七号証の一六のAないしC、第八、第九号証、第一〇、第一一号証の各一、二、第一二号証の一ないし三、第一三、第一四号証の各一、二、第一五号証、第一六号証の一ないし六を提出。

2. 証人高橋善雄の証言及び原告会社代表者三輪嘉晟、同松川光夫、同的崎修各本人尋問の結果を援用。

3. 乙第一号証の一ないし三、第二ないし第七号証、第九号証、第一三、第一四号証、第一五、第一六号証の各一、二、第一七、第一八号証、第一九号証の一ないし六の各成立は認める。乙第一一、第一二号証の各三中、官署作成部分の成立は認めるがその余の部分の成立は不知。その余の乙号各証の成立は不知。

二、被告

1. 乙第一号証の一ないし三、第二ないし第九号証、第一〇号証の一ないし七、第一一、第一二号証の各一ないし三、第一三、第一四号証、第一五、第一六号証の各一、二、第一七、第一八号証、第一九号証の一ないし六、第二〇号証を提出。

2. 原告会社代表者三輪嘉晟本人尋問の結果を援用。

3. 甲第一号証、第二号証の五ないし一〇の各AないしC、第七号証の一のC、第七号証の二のB、第七号証の三のC、第七号証の五のC、第七号証の六及び七の各B、第七号証の八のC、第七号証の九のB、第七号証の一〇及び一二の各C、第七号証の一三ないし一五の各B、第七号証の一六のC、第八、第九号証、第一〇、第一一号証の各一、二、第一三号証の一、二、第一六号証の一ないし六の各成立は認める。甲第二号証の三及び四の各A、第三号証の四、六、八の各B中、官署作成部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知。その余の甲号各証の成立は不知。

理由

一、請求原因1ないし3及び5の各事実は当事者間に争いがない。そこで、本件各処分の適否について以下順次判断する。

二、本件退職金の損金算入の否認について

1  まず、本件退職金の支給がなされるに至つた経緯ないし背景的事情について検討するに、原告会社は、船舶用冷凍装置の製造販売等を営業目的とし、三輪嘉晟を代表取締役として昭和二七年六月二六日に設立された株式会社であるが、その前身は右嘉晟の父主一が戦前に創立した大正金属工業所なる個人企業であつて、松川光夫は同一七年五月に雇傭されて主に事務方面の業務に従事し、的崎修は同二二年三月に雇傭されて主に技術方面の業務に従事していたところ、右工業所が前叙のごとく会社組織となると同時に、松川が代表取締役に、的崎が取締役に就任し、同二八年六月二六日両名とも役員を退任したが、引続き同会社の株式を所有しつつ勤務し、同四二年一〇月二六日再び取締役に就任して現在に至つていることは当事者間に争いがなく、右争いない事実に、成立に争いのない甲第二号証の五ないし一〇(各孫枝番を含む)、第七号証の一ないし一四(但し、登記薄抄本たる各孫枝番のみ)、乙第一号証の一ないし三、第二ないし第四号証、第六、第七、第九、第十三、第十四、第一七、第一八号証、第十九号証の一ないし六、原告代表者松川本人尋問の結果により成立の真正を認める甲第二号証の一ないし四(各孫枝番を含む。但し、三及び四の中官署作成部分の成立は争いがない。)、第三号証の一ないし一〇(孫枝番のあるものはそれを含む。但し、四、六及び八の中官署作成部分の成立は争いがない。)、第四号証の一ないし一一、第五号証、第一二号証の一ないし三、原告代表者的崎本人尋問の結果により成立の真正を認める甲第六号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認める乙第八号証、第一〇号の一ないし七(但し、六及び七の中官署作成部分の成立は争いがない。)、第一一、第一二号証の各一ないし三(但し、各三の中官署作成部分の成立は争いがない。)並びに原告代表者三輪嘉晟、同松川光夫、同的崎修(但し、後記措信しない部分を除く。)各本人尋問の結果を総合すると、

(1)  三輪嘉晟は、父主一が死亡した昭和二五年四月当時はまだ学生であり、大正金属が会社組織となる少し前の同二七年四月大学卒業と同時に技術者として日本板硝子株式会社に入社し(この点は当事者間に争いがない。)、同三四年三月までは四日市工場、同四〇年四月までは本社(大阪)、同四三年末までは舞鶴工場、それ以降は再び本社というように、原告会社の所在する尼崎市より離れた職場を転々としたため、亡夫の創業した原告会社を引き継ぎ、別表(二)にみるとおり終始筆頭株主(概ね発行済株式総数の三五パーセント前後を所有)であり、かつ代表取締役の地位にあつたとはいつても、会社経営者としての仕事は自ら時間的・地理的に制約された非常勤という変則形態をとらざるを得ず、また嘉晟の母みどり及び妹和子はいずれも原告会社の取締役であり、嘉晟に次ぐ大株主でもあつたが、両名とも現実の経営に参画するわけではなく(和子は同二七年四月以降田中千代服装学園で洋裁教授をしていた。)、三輪一族の中には他に会社経営に従事する者はいなかつた。

(2)  こうした事情や、原告会社が別表(二)のとおりの発行済株式総数及び資本金、別表(四)のとおりの従業員を有する小規模の会社であつたところから、勤務経験の長い松川及び的崎が昭和二八年六月役員を退任した後も、同会社の経営に関する諸業務を三輪嘉晟から委託されて実際上これを遂行することとなつた。即ち、松川は、嘉晟から代表取締役の印を預り番頭格として信任され、大幅にその権限の委譲を受けていたもので、受注、契約締結、資財購入、集金、銀行取引、一般工員の採用・配置・給与額等の決定等主に営業・経理・外交面を担当し、的崎は、受注、契約等について技術の点から松川を補佐するとともに、第一種冷凍技術者として冷凍装置等の計画・設計・外注管理、製作、据付試運転等の責任者となり、外業・技術面の中枢を分掌した。もつとも、重要事項の決定や松川らを含む職員の採用、給与額等の決定は、三輪嘉晟が自ら来社し、もしくは電話等で指示を与えていた。

(3)  原告会社の営業実績の推移は、別表(六)のとおりであるが、殊に、昭和三八年六月松川の外交によつて川崎重工業株式会社より受注したバナナ輸入船二隻の冷凍装置について原告が生産責任者として現場の指揮をとり製品を完成させ、納入先から好評を博したことにより、同三八年一二月一日から翌三九年一一月三〇日までの営業年度の利益金は前期の六倍にも伸長し、その後同種装置の受注、納入によつて翌二営業年度にわたり利益金がそれぞれ倍増する躍進を遂げるに至つた。ここにおいて松川らは会社の大功労者と認められ、別表(四)、(五)に明らかなごとく、両名の給与は同三九年に大幅な引き上げをみ、翌四〇年には賞与も倍増されて同年以降の給与・賞与額は均一額とされ、嘉晟のそれに比肩しあるいはそれを凌駕するに至つた。

以上の事実が認められる。原告代表者的崎本人尋問の結果中には右認定に反する部分もあるがそれは措信しない。他にこの認定を左右すべき証拠はない。

そして一方、昭和三八年の好況到来より、松川と的崎との間で、営業面、技術面で種々意見の相違を生じ、特に同四〇年頃からは両者間の確執が深まり、三輪嘉晟の岳父西郷亭が同四二年五年月顧問として就任し、やがて同年八月同人が常勤の代表取締役となるに及んで、松川らとすれば永年の功績が正当に評価されていないことへの不満、西郷とすれば松川らに経理上の不正や労務管理面での不備があるのではないかとの疑心が生まれ次第に三者間で内部抗争の様相すら呈し、そのことが一因となつてその頃松川、的崎が相次いで辞意を表明するに至つたことは当事者間に争いがなく、前掲乙第三、第六、第七号証、証人高橋善雄の証言及び原告代表者三輪嘉晟、同松川光夫、同的崎修各本人尋問の結果を総合すれば、辞意表明を受けた嘉晟、西郷は、早速会社経理の内容を調査させてその不正なきことを確認し、もし両名が一挙に欠けることにでもなれば会社の命運に致命的な影響を及ぼすことにもなりかねないことを憂慮し、この際は、両名を慰留し、その永年にわたる貢献に報いるため、両名の使用人時代の退職金を打切支給して使用人としての退職を認め、同時に常勤役員として昇格することとし、その旨両名に要請したところ、両名はこの申し入れを容れ辞意を撤回したこと、そこで右退職金の支給額を嘉晟、西郷において協議した結果、松川につき二、三〇〇万円、的崎につき二、〇〇〇万円とすることに決し、株主総会の決議を経て、両名の取締役就任の前日にこれを源泉徴収のうえ支給し、会社内では退職給与引当金の戻入れをして損金経理したこと、松川及び的崎のかかる再度の取締役就任の前後を通じてその職責、職務内容に格別の変化はなく、給与もその前後数か月間(同四二年七月から同四三年二月まで)同額であつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

2. 被告は、原告が本件退職金の支給を受けた日において法人税法施行令第七条第二号に定める「同族会社の使用人のうち、その会社が同族会社であることについての判定の基礎となつた株主であるものでその会社の経営に従事しているもの」に該当するから、法人税法第二条第一五号により同法上の役員であつたと主張するので、まずこの点について考える。

同族会社の要件について、同法第二条第一〇号は、株式会社の場合、

(イ) 株主の三人以下及びこれらの同族関係者が所有する株式の総数がその会社の発行済株式総数の一〇〇分の五〇以上に相当する会社

(ロ) 株主の四人及びこれらの同族関係者が有する株式の総数がその会社の発行済株式総数の一〇〇分の六〇以上に相当する会社

(ハ) 株主の五人及びこれらの同族関係者が有する株式の総数がその会社の発行済株式総数の一〇〇分の七〇以上に相当する会社

のいずれかに該当するものと定め、さらに同法第三五条第五項、同法施行令第七一条第四号によると、同族会社の役員が同族判定株主であるときは、その者に支給した賞与は、同法第三五条第二項にかかわらず同条第一項の原則により損金に算入されないことと定められている。同族会社についてかような法規制をなした趣旨は、同族会社は一般に少数の株主によつて支配されており所有と経営が結合されていて、少数株主による所謂お手盛の経理が行われることが多いため、法人税の負担を不当に軽減する傾向にあり、また役員が同族判株主である場合自己及びその同族関係者の議決権を通じて会社の意思決定に支配権を及ぼし会社の配当、営業政策を左右する可能性が強いために、その者に対する賞与を本来の役員に対するそれと同視し、損金に算入しないこととしたものと考えられる。他方、同法第二条第一〇号が前記(イ)ないし(ハ)の同族会社の三つの要件についての基準適用の順序ないし相互の優先劣後の関係を定めていないのであるから、持株数の多い株主から着目してその持株割合を検討し右(イ)の基準を充す場合には同族判定株主はその基準に該当する最少限の少数株主に限定しているものと解すべきではなく、その場合であつても、右(ロ)又は(ハ)の基準のいずれかに該当する同族会社の同判定株主もまた、会社の経営に従事している限りすべて同法上の役員に該当するものと解するのが相当である。しかるところ、前記争いのない事実によれば、原告会社の役員らの昭和三八年六月三〇日及び同四二年一〇月一日当時における持株数の発行済株式総数に対する割合は、三輪嘉晟三六・八三パーセント(三六・七五パーセント)、三輪みどり二七・五〇パーセント(二六・六二パーセント)、三輪和子二七・五〇パーセント

(同)、松川光夫四・八七パーセント(四・八三パーセント)、的崎修三・三七パーセント

(三・三三パーセント)であるから(かつこ内の数字は同四二年一〇月一日当時のもの)、原告会社は、前記二つの時点において、三輪一族三名によつて判定される前記(イ)の同族会社であるとともに、松川及び的崎を含めた五名によつて判定される前記(ハ)の同族会社でもあると認むべく、松川及び的崎もかかる同族会社である原告会社の同族判定株主であるといわなければならない。そして前認定事実によれば、右両名は、原告会社内における職務、それに対する会社の待遇等からみて昭和四〇年頃には既に原告会社内における支配層たる地位を確立していたものと認めるのを相当とするから、その頃には前記法条に定める「経営に従事している者」として法人税法上の役員となつたというべきである。

3  そこで、前叙のごとく原告が再度取締役に就任するに際し、その前日に使用人時代の退職金として支給された本件退職金が役員賞与であるか否かを検討するのに、松川及び的崎は定期の給与を受けていたのであるから、法人税法第三五条第四項により、退職給与でない限りそれは役員賞与と認定されることとなるけれども、名目どおり退職給与であるとすれば原告主張のとおり損金経理が認められる筋合である。

この点について、被告は、松川及び的崎は前記金員の支給を受けた前後を通じ原告会社を退職した事実はないから本件退職金は退職給与に該る筈はないと主張する。なるほど、退職給与は、本来、退職により一時に支給を受ける給与であるから、引続き勤務する者に対して支給する給与は退職給与に該当しないのが建前であるけれども、世上一般に、会社の使用人から役員に昇格し引続き勤務する者に対し、使用人であつた勤続期間に対応する退職金を支給し、その支給後役員としての退職の際に支給を受けるべき退職金の計算はさきの退職金の計算基礎となつた勤続期間を一切加味しない条件の下にいわゆる打切支給する事例も稀ではなく、かかる場合には、社会通念的な退職と観念される事実がないからといつて、給与の一部の一括後払の性質を持ち、唯それが一時にまとめて支給され、老後の生活の糧となり担税力が低いと考えられるため累進税率を緩和し給与所得とは別の所得類型として課税上の扱いを受くべき退職給与であることを否定すべき理由はない。松川らは右退職金の支給を受ける約二年前には、既に実質的には使用人としての雇傭関係は終了し役員たるべき同族判定株主となつたものと認められることは前述のとおりであり右金員が退職時に直ちに支給されなかつたからといつて、そのことの故に退職給与たる性格を全て失うと解することはできない。その主張は採用できない。

こうしてみると、本件退職金は、その名目どおり、退職給与たる一面を有することは否定できないというべきであるが、そそうであるからといつて、右金員の全部が退職給与であるとする原告の主張については、前記法人税法の規定の趣旨に照らし更に検討を要する。松川に対し二、三〇〇万円、的崎に対し二、〇〇〇万円という本件退職金の金額が、原告会社の従業員退職給与規則に従つて算定した金額(松川が約二九〇万円、的崎が約二六〇万円)の八倍前後に相当することは原告も自認するとおりであり、原告会社と業務、業態、規模の類似する他の同族会社の通常の退職金支給事例を直接に認めさせる証拠はないが、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る乙第二〇号証によれば、関西経営者協会が昭和四二年七月現在における従業員五〇〇人未満の同会会員会社五四社の従業員退職金の水準を調査したところによると、勤続年数二〇年の大学卒(事務系及び技術系を含む。)の場合、高率(会社都合退職など)の支給事例でもその平均値が一三六万四、七〇〇円、最高値が二三九万八、〇〇〇円、勤続年数二五年の大学卒の場合、高卒の平均が二一二万七、四〇〇円最高が五一〇万円であることが認められる。かかる事実に鑑みると、大正金属が個人経営から法人組織へ移行した際に松川らが退職金を受けていないことや、両名の使用人時代の功労等この点に関し原告が指摘する特殊事情を参酌しても、本件のような退職金の金額の選定は、利潤の最大化を目指しその目的を達成するように行動する営利法人の行動の選択としては、合理性を欠き本件退職金は使用人退職給与としては不相当に高額であるといわなければならない。従つて、前認定事実に照らせば、本件退職金中、両名の場合につき客観的に存在する相当な使用人退職給与の額を控除した残余に限つて、従前の功労に報いるため臨時的に支給された役員賞与と認むべきである。

4  しかるに、松川及び的崎の場合につき客観的に存在する相当な使用人退職給与の額について被告は何等の主張も立証もしないのであるから、役員賞与と認定されるべき額も確定できない次第であつて、結局、本件退職金全部が役員賞与であるとして被告がなした損金算入の否認の処分は全部違法であるといわなければならない。

三、本件賞与の損金算入の否認について

本件事業年度当時松川及び的崎が法人税法上の役員と認定されるべきこと叙上のとおりであるから、右事業年度内に右両名に対し使用人賞与として支給された本件賞与について損金経理が認められないことは明らかであり、その損金算入を否認した被告の処分は適法というべきである。

四、本件納税告知処分について

被告がなした本件納税告知処分及び不納付加算税賦課決定処分は、本件退職金全部を役員賞与と認定したことに伴うものであるところ、その前提につき理由なきことは上来説示のとおりであるから、右処分は違法といわなければならない。

五、以上説示のとおりであるから、原告の本訴請求中、本件更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(但し、被告の異議決定により一部取消された後のもの。)の取消を求める部分は、所得金額一、三二五万六、九五五円(修正確定申告額三〇三万六、九五五円に本件賞与中損金算入否認分一、〇二二万を加算した額)を超える額に対する部分の取消を求める限度で理由があるが、その余は理由がなく、また本件納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分の取消を求める部分は全部理由がある。

よつて、原告の本訴請求を右理由ある部分につき認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松浦豊久 裁判官篠原勝美、裁判官菊地健治は転任につき署名捺印できない。裁判長裁判官 松浦豊久)

別表(一)

〈省略〉

別表(二)

〈省略〉

別表(三)

〈省略〉

(注) 昭和二七年六月分の給料は松川及び的崎とも同年七月分と同額である。

別表(四)

〈省略〉

(注) 従業員数は各年一一月現在における数値を示す(但し、松川及び的場を含む)

別表(五)

〈省略〉

別表(六)

〈省略〉

(注) 原告会社の営業年度は毎年一二月一日から翌年一一月三〇日までであり、右表のその数字は各終期の属する暦年を示す。

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